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-老舗企業の取り組みを追う-

「日本酒の価値」について再定義する

2021.07.22

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「日本酒の価値」について再定義する

2021.07.22

今回は、世界で唯一、日本酒蔵とフランスでワイン醸造所を持ち、従来のスタンスを変えようとして挑戦を続ける「醸し人九平次」の醸造元・久野九平治氏から話を聞き、老舗企業としての「海外での取組み」「価値の本質」について考えていきたい。

「蔵人自らが米を育て、その米で酒を造る事が世界基準」

十時:本日はよろしくお願いいたします。まずは日本酒とフランスワインの両方で蔵を持つ久野さんから見た「世界で通用する日本酒」について教えてください。

久野氏:私にとって「世界で通用する日本酒」とは、テロワール*2まで考えて、自らの手で原料を育て、酒造りをすることです。ですから、2010年から兵庫県黒田庄で米を自分で育てています。

十時:そうなのですね。これは私の主観ですが、九平次の酒は印象が強く残ります。この感覚はきっと米から来ているんですね。

久野氏:ありがとうございます。ここ10年で、日本酒の輸出量は年々盛り上がりを見せています。輸出額で見ると10年前のおよそ3倍にまで増加し、2020年は輸出額が240億円を超えました。その一方で、フランスのワイン・シャンパンの輸出量は、実に1兆円を超え文字通り桁違いの輸出額となっています。

醸造酒の世界基準=ワインという事をつくづく思い知らされます。

この差が何故生まれているかと言うと、日本酒側にまだまだ至らない点が多いからです。日本酒が世界基準になるためには、世界のお客様目線は何かを真剣に考える必要があると思うのです。

ワインは、製法よりも、原料となるブドウの品種をはじめ、育てられたテロワールやヴィンテージが重要視されます。

日本酒は歴史的にみて「米の生産」と「醸造」との分業化が当たり前の業界でした。それは「士農工商」という階級制度から来ています。その階級制が21世紀の現代にも農と醸に壁を作り、どんどん米の存在が隅に追いやられてしまったのです。それは日本酒の造り手が自ら田んぼで米の息吹・鼓動に耳を傾けずに来たからです。

世界で付加価値の高い食品たちは、主原料の安心、安全から始まり、そのポテンシャル、素材の物語から始まります。

しかし、日本酒は「小さく米を磨けば価格が高い」と言うプロモーション一辺倒に陥った事が世界基準からかけ離れた原因だと考えています。実は、それが海外の目線だと非常に工業的に映るのです。

それを痛感し2010年から、「自ら米を育て、田んぼの物語を添えたその米で酒にしたい!」と米の栽培*3を始めました。


十時:
なるほど。日本酒とワインだと、重要視される箇所が全く異なるのですね。 歴史的な背景も踏まえた農との隔たりが興味深いです。ところで世界基準を意識するようになったきっかけは何かあったのでしょうか?

久野氏:2006年、パリに進出して2年目、在アイルランド日本大使館に招かれ、日本酒のセミナーをさせて頂いた時のことです。

その時の経験が、今の私の大きな原点となっています。

アイルランドは牧歌的で、セミナー会場は中世のお城を改築したホテルでした。青い空と緑の草原。1本道を進むと遠くの岸壁に古い城が見えてきます。その時、目に飛び込んで来たもの、それは白地に赤の日本の国旗だったのです。

恥ずかしいですが、それまであまり日本の国旗を意識した事はありませんでした。青い空と緑の大地に、たなびく日本旗って、本当に、美しいんですよ!しかもわざわざ私のために用意して迎えてくれていたのです。

その瞬間、得も言われぬ感情で溢れました。それが「日本酒業界代表でこの地を訪れているんだ」という意識が芽生えた瞬間です。

大袈裟ですが、スポーツの日本代表で日の丸を背負う感覚です。(笑)今でも、目に焼き付いて離れない美しい光景です。

かけがえのない経験や光景。それこそが本当のラグジュアリー

十時:貴重な経験をされているのですね。日本人としてとても羨しいです。 その経験から「世界とは?」をより意識するようになったのですね。

少し話は変わりますが、次に醸し人九平次は、香りが華やかでラグジュアリーという言葉が似合うと感じています。「日本酒のラグジュアリー」という観点でもう少しお話しを聞かせてください。

久野氏:ラグジュアリーとは、例えばアイルランドで経験したような、掛け替えのない時、経験、光景、そしてその尊さだと思うのです。ラグジュアリーを語るには、商品の提供側に語る資格があるのか?と言う事が重要だと思うのです。

アンチテーゼになりますが、造り手側が日本酒を通した掛け替えのない経験を、どれだけしているのか?と言う事です。マーケティングが先行した商品に、ラグジュアリーを語る資格はないと思うのです。

十時:グサリときます。

久野氏:私にとって掛け替えのない、思い出があります。

パリで活動し始めた時、私の日本酒を初めて評価してくれたのはフランス料理界・ワインの重鎮、「タイユヴァン*4」のオーナーだった今は亡きブリナさんでした。

名も無い日本酒屋がアポを入れても会ってくれるか分かりません。そこでお客さんになり、食事の最後に挨拶をし、恐る恐るSAKEを提案したのです。当時スマホはありません。ガイドブックを片手に日本流の飛び込み営業を有名店目がけて行っていました。今も似たような事を行っているんですよ。(笑)

十時:その時のSAKEは、何を提案されたのですか?ブリナさんの反応も気になります。

久野氏:醸し人九平次・純米大吟醸「別誂(べつあつらえ)」です。 これは2001年から発売されている弊社のフラッグシップの日本酒です。「特別に誂えた洋服」という意味を込め、オートクチュールをイメージしたサブタイトルをつけました。

ブリナさんは、差し出した別誂を口にして黙っています。「いや、まいったな!きっと気に入らなかったのだろうな!」とドキドキです。時間が長く感じました。

しばらくすると、「翌日ランチ明けに店に再度来なさい。」とおっしゃるのです。何が待っているのだろうと、再訪すると、なんと、オマールの料理を作って待っていてくれていたのです。

「君のSAKEに合う料理を用意した。白ワインだと香りが料理を邪魔する。そして黒のグラスで中味が分からないように提供したら、未知の喜びをお客様に感じてもらえるよ!」と中が見えない黒いワイングラスに注いだ「別誂」を出してくれたのです。

そのシーンは忘れられません。そして、その時の「別誂」が、優雅でラグジュアリーで、格別に感じられた事を昨日のように思い出します。

星付きレストラン、そこは、エレガントな大人の社交場でもあるのです。ラグジュアリーを私自身に、初めて体感させてくれた、一場面です。日本人の飛び込みの営業ですよ!若い日本人に対して、このブリナさんの対応が、正にラグジュアリーと思いませんか?!若い日本酒の造り手に至高な経験を与えてくれたのです。

十時:このエピソード、映像が目に浮かびます!素晴らしい体験の積み重ねがあって、今があるのですね。2001年からだと20周年ですね!おめでとうございます。

久野氏:掛け替えのない経験や光景。人から受けたもてなし。懐の深さ。 それこそがラグジュアリーではないでしょうか。あの時の空間、料理、サービス、ブリナさんから頂いた物、全てが私にとってラグジュアリーなのです。もうブリナさんは、お亡くなりになったので、同じ経験は2度とできません。正しく幻ですね。

「至高」とは、高みを目指し続ける造り手の姿勢。

十時:先ほど「幻」や「至高」という言葉が出てきました。私自身最近ネット上で、よく目にする日本酒の謳い文句のような気がしています。久野さんにとって「幻」や「至高」とはどのようなものかお聞かせください。

久野氏:まず「自分で自分の事を幻・至高とよく言うよな!」と思うのです。本来お客様が掛け替えのないシーンと共にお客様から頂戴するコメントだと思うのです。造り手が謳う事自体に嫌悪感・おこがましさを感じます。「幻」や「至高」と謳い希少性を連想させること、それは非常に薄ぺらで、いかがわしい勧誘商法と同レベルです。

希少性だけでは世界に通用する日本酒が生まれる事はありません。そして業界内の模倣体質から脱しないと日本酒は国際的な飲み物にならないと思うのです。模倣には「掛け替えのない」と言うフレーズが何もないからです。世界のお客様はそれを見抜きます。

十時:久野さん、厳しいですね、!

久野氏:今に満足している造り手に、それ以上のモノを造ることはできないと思うのです。 今よりお客様の喜びを目指し悩んでいる造り手なら自ら「至高」と謳うことはないと思うのです。私は少なくてもそうです。だって至高ってもう上がない事でしょ!

十時:なるほど。

久野氏:「至高」とは、高みを目指し続ける造り手の姿勢そのものなのかもしれないです。 そして「幻とは」は、ブリナさんに差し出したあの時の1本が私にとっての幻の一本です。

だって、もう、二度とあの時の別誂には出会えませんから。

そして、もう一つ、幻があります。米を自分で育てているからこそ、身に染みて実感する幻です。2019・2020年天候不順で、米の収穫量は、平均の20%ダウンでした。この20%が本当の幻なんですよ!20%分の米がSAKEにはならなかったからです。米を育てるとは、天候の前に人間の非力を痛感させられるのです。天候の前に努力の甲斐が散ると、謙虚にならざるを得ないのです。

おわりに

久野氏の話を伺ってから、日本酒を選ぶ基準のようなものが少し変わった気がした。リアルな体験を、自身のフィルターを通して昇華させ、真摯に向き合っている人だった。日本酒の可能性を追求する姿勢に胸が熱くなった。

私は、日本の伝統である日本酒が本当の意味で世界評価されてほしいと願っているし、そうなったら素直に嬉しい。

不作分の20%の米が本当の幻だと言う部分は目から鱗だった。改めて「日本酒の価値」を考えさせられた。リアルな裏付けがあって初めて本当の価値が成立するのではないだろうか?

彼の話には、掛け替えのない経験から来る「こう思う」があった。しかし、ラグジュアリーとは逆に泥臭い、愚直と言う言葉が、今、思い浮かぶ。

入手困難など耳触りの良い単語が溢れるなか、惑わされる事なく日本酒を選びたいと思う。 そして「本物とは?」と心の中で問いかけ続けていきたい。九平次別誂を今晩飲もう。と感じたインタビューだった。

萬乗醸造(ばんじょう じょうぞう)

創業1647年。今や国内のみならず海外のシェフ、ソムリエにも受け入れられる。「醸し人九平次」は、機械的大量生産から脱却をめざし手造り農家的な仕事へと回帰し、97年、産声を上げる。海外の星付レストランへ売り込むなど日本酒の世界進出における先鞭をつけた。兵庫・黒田庄に自ら田んぼを持ち酒米を育て、さらには2016年からはブルゴーニュ・モレサンドニでワインも醸している。

用語解説

*1 OEM:Original Equipment Manufacturingの略語で、依頼主(ブランド側)が製品の仕様を決め、受託企業(酒造メーカー側)が実際の製品化をおこなう手法を指す。マーケティングと製造を切り離すため、依頼主側は販売に注力することができる。

*2 テロワール:フランス人が自国の誇るワインを語る際に好んで使用する、その土地の気候や土壌などすべての自然環境を表す。ヴィンテージはブドウの収穫年のことを指す言葉。

*3 米の栽培:萬乗醸造では世界基準で日本酒を語る時は「SAKE」といったように、全ての造り手が表現に気を付けている。工業生産的ではなく、人の手で造られる九平次の米は、ワイン造りにおけるブドウ栽培と同じように「米の栽培」と表現している。

*4 タイユヴァン:1946年に創立され、30年以上にわたりミシュラン三つ星を獲得し続けた、フランスを代表する老舗レストラン。食とワインとの調和という哲学の下、ワインと食事が織りなす繊細で優美な味わいを堪能いただける至高の名門フレンチとして、威厳と風格を保ち続けている。しかし、ブリナさん死去後は経営は他に移管された。

インタビュアー:十時悠径

大学ではデザインを専攻し、楽天にコンサルタントとして就職。その後、マネジメント経験を経て株式会社chipperを創業。これまで累計1,000社を超えるD2C立ち上げ・伝統産業・老舗リブランディング支援を行う。